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イントロダクション
  • 学生運動終焉期にエスカレートした“内ゲバ”の嵐 ―革命を志した若者たちはなぜ殺しあわなければならなかったのか?
    現在から約50年前、1972年11月8日に早稲田大学文学部キャンパスでひとりの若者が殺された。第一文学部2年生の川口大三郎君。文学部自治会を牛耳り、早大支配を狙う新左翼党派・革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)による凄惨なリンチが死因だった。好奇心旺盛な普通の若者だった川口君は、なぜ殺されねばならなかったのか。
    川口君リンチ殺人事件に怒った早大全学の一般学生はすぐに立ちあがった。革マル派を追放して自由なキャンパスを取り戻し、民主的な自治会を作ることを目的とした「早大解放闘争」が始まり、世間の注目を集める。それは「内ゲバ」の時代を終わらせ、新しい学生運動を生み出す可能性を秘めた闘いのはずだった。しかし革マル派の「革命的暴力」の前に一般学生は敗れ去り、わずか一年でその闘争は収束する。そして皮肉にも川口君リンチ殺人事件を機に革マル派と中核派の「内ゲバ」は、社青同解放派(日本社会主義青年同盟解放派)をも巻き込む形でエスカレートしてゆく。結果として、100人を超えた「内ゲバ」の犠牲者たちは、なぜ死ななければならなかったのか。理想に燃えた約50年前の若者たちが犯した失敗を、理想に燃える未来の若者たちが二度と繰り返さないために、私たちは知らなければならない。
  • 1972年当時を振り返る証言パート ― 内田樹、池上彰、佐藤優も“あの時代”を語る現代の若者たちが演ずる鴻上尚史・演出の短編劇が炙り出す“内ゲバ”の不条理死んでいった者たちと生き残った者たちの、悔恨と鎮魂を刻印するミクスチャー・ドキュメンタリー
    これまでほとんど語られてこなかった「内ゲバ」の真相に、当事者の視点から切り込んだ書籍『彼は早稲田で死んだ』(著:樋田毅/文藝春秋)との出会いから本作の製作は始まった。1972年当時若者だった、現在は70代前後の当事者たちの貴重な証言が積み重ねられていく一方で、「内ゲバとは何だったのか?」という大きな疑問がひろがってゆく。その疑問を現代に手繰り寄せるために、川口くん事件を再現する短編劇パートも製作。演出は、学生運動を題材にした演劇を数多く発表してきた鴻上尚史、そして演じるのは今まさに生きている20代の若者たち。約50年を経て交差する記憶とアクションによって、その大きな疑問の答えにたどり着けるのか。
    監督は、『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』『きみが死んだあとで』で、新左翼闘争が渦巻いた“あの時代”を描き続けてきた代島治彦。徐々に過去の歴史になりつつある時代の記憶と体験を、四たびドキュメンタリー映画に凝縮した。音楽は、代島監督作品には欠かせない大友良英が担当。激情と悔恨が織り混ざった楽曲が、本作全体を覆う暴力と無力感、そして相反する鎮魂のイメージが奏でられる。「内ゲバ」を巡る不条理と、“あの時代”の熱量と悔恨を、立体的な手法で刻印したミクスチャーなドキュメンタリー映画がここに誕生した。
現在から約50年前、1972年11月8日に早稲田大学文学部キャンパスでひとりの若者が殺された。第一文学部2年生の川口大三郎君。文学部自治会を牛耳り、早大支配を狙う新左翼党派・革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)による凄惨なリンチが死因だった。好奇心旺盛な普通の若者だった川口君は、なぜ殺されねばならなかったのか。
川口君リンチ殺人事件に怒った早大全学の一般学生はすぐに立ちあがった。革マル派を追放して自由なキャンパスを取り戻し、民主的な自治会を作ることを目的とした「早大解放闘争」が始まり、世間の注目を集める。それは「内ゲバ」の時代を終わらせ、新しい学生運動を生み出す可能性を秘めた闘いのはずだった。しかし革マル派の「革命的暴力」の前に一般学生は敗れ去り、わずか一年でその闘争は収束する。そして皮肉にも川口君リンチ殺人事件を機に革マル派と中核派の「内ゲバ」は、社青同解放派(日本社会主義青年同盟解放派)をも巻き込む形でエスカレートしてゆく。結果として、100人を超えた「内ゲバ」の犠牲者たちは、なぜ死ななければならなかったのか。理想に燃えた約50年前の若者たちが犯した失敗を、理想に燃える未来の若者たちが二度と繰り返さないために、私たちは知らなければならない。
これまでほとんど語られてこなかった「内ゲバ」の真相に、当事者の視点から切り込んだ書籍『彼は早稲田で死んだ』(著:樋田毅/文藝春秋)との出会いから本作の製作は始まった。1972年当時若者だった、現在は70代前後の当事者たちの貴重な証言が積み重ねられていく一方で、「内ゲバとは何だったのか?」という大きな疑問がひろがってゆく。その疑問を現代に手繰り寄せるために、川口くん事件を再現する短編劇パートも製作。演出は、学生運動を題材にした演劇を数多く発表してきた鴻上尚史、そして演じるのは今まさに生きている20代の若者たち。約50年を経て交差する記憶とアクションによって、その大きな疑問の答えにたどり着けるのか。
監督は、『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』『きみが死んだあとで』で、新左翼闘争が渦巻いた“あの時代”を描き続けてきた代島治彦。徐々に過去の歴史になりつつある時代の記憶と体験を、四たびドキュメンタリー映画に凝縮した。音楽は、代島監督作品には欠かせない大友良英が担当。激情と悔恨が織り混ざった楽曲が、本作全体を覆う暴力と無力感、そして相反する鎮魂のイメージが奏でられる。「内ゲバ」を巡る不条理と、“あの時代”の熱量と悔恨を、立体的な手法で刻印したミクスチャーなドキュメンタリー映画がここに誕生した。
川口大三郎リンチ殺人事件 ―そして内ゲバはエスカレートした
川口大三郎リンチ殺人事件とは、1972年11月8日に東京都の早稲田大学構内で発生した、革マル派による早稲田大学第一文学部の男子学生・川口大三郎へのリンチ殺人死体遺棄事件。その後の各セクトによる内ゲバ激化の契機になった事件と言われている。
事件概要とその影響
1972年11月9日早朝、東京大学医学部附属病院前で、パジャマ姿の若い男性の遺体が発見された。遺体は全身殴打され、アザだらけで骨折した腕から骨が出ていた。被害者は当時、早稲田大学第一文学部の学生である川口大三郎(当時20歳)。
11月9日昼過ぎ、革マル派が声明を発表し「川口は中核派に属しており、その死はスパイ活動に対する自己批判要求を拒否したため」と事実上、殺害への関与を示唆する内容の声明を発表した。これにより、川口は内ゲバによって殺されたことが判明。
前日の11月8日14時頃、川口を中核派のシンパとみなした革マル派活動家たちが、川口を早稲田大学文学部キャンパスの学生自治会室に拉致。約8時間にわたるリンチを加えて殺害し、その後川口の遺体を東大構内・東大付属病院前に遺棄した。死因は「丸太や角材の強打によるショック死」で「体の打撲傷の跡は四十カ所を超え、とくに背中と両腕は厚い皮下出血をしていた。両手首や腰、首にはヒモでしばったような跡もあった」という凄惨なものだった。 被害者の川口大三郎は、1952年(昭和27年)静岡県伊東市生まれ。1971年4月に早稲田大学第一文学部に入学。川口は当時から学生運動や部落解放運動などに参加していたが、実際には中核派とはほとんど関係がなかった。
早稲田大学では、革マル派および革マル派と癒着する早稲田大学当局へ批判が強まり、一般学生たちによる数百人から数千人規模の革マル派糾弾・抗議集会が連日続いた。1972年11月28日、第一文学部学生大会を皮切りに各学部で学生大会が行われ、革マル派自治会執行部がリコールされ、自治会再建をめざす臨時執行部が選出された。
しかし、新しく選出された臨時執行部はさまざまな学生たちが混在し、武装による対抗か非暴力闘争か、内部の意見対立が起きた。その対立が表面化する中で、執行部への革マル派による襲撃が発生。 このあたりから、革マル派と、他大学を拠点とする中核派や社青同解放派など他セクトとの内ゲバは、互いの組織壊滅を目的とした凄惨な「殺し合い」へとエスカレートしていき、血で血を洗うこれらの内ゲバは学生運動を弱体化させ、一般市民が新左翼から離れてゆく大きな原因の一つとなった。川口大三郎リンチ殺人事件への糾弾運動はセクトの暴力反対から出発したが、結果的にセクトの暴力、内ゲバをいっそう激化させることになった。
証言パート
人物紹介
監督インタビュー
いまは好々爺になっている彼らの「記憶の井戸」     
その底に眠っている闇に、多くの若い死者たちがいた
Q:代島監督は『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』『きみが死んだあとで』と3作品続けて、60~70年代の政治闘争の時代についてのドキュメンタリー映画を作り続けて本作で4作品目になります。この時代を描き続けているのはなぜでしょうか?
自分が手がけた作品と呼べる最初のドキュメンタリー映画は『三里塚に生きる』。大津幸四郎さんと共同で監督した映画なんですが、そこで’60年代から’70年代にかけての政治闘争の闇と出会ったんです。大津さんが撮影を担当した小川紳介監督の『日本解放戦線・三里塚の夏』(1968年)に登場した、当時成田空港建設に反対し、命がけで国家権力と闘っていた農民、特に前衛に立っていた青年行動隊の若者たちはいまどうしているだろう、その後どんな人生を送ったのだろう、彼らと再会し、話を聞いてみたいという大津さんの個人的な動機から映画作りははじまりました。
かつての闘争現場はいまは成田国際空港になっています。当時のさまざまな新左翼党派、支援団体の団結小屋はすっかり廃墟になっています。空港建設反対の先頭に立っていた農家は集団移転し、国と交渉した結果手にした補償金で御殿のような立派な家で暮らしていました。一方で、いまでも「空港建設反対」の看板を掲げ、闘争を継続しているグループ、移転を拒否している反対農家もいました。戦後最大で、最後の百姓一揆と呼ばれた成田空港建設反対闘争の光と影が目の前の風景のなかに広がっているなあと感じたんですよ。
でも、その現在の風景と大津さんが撮影した『日本解放戦線・三里塚の夏』の、空港ができる前の風景を比較し、コラージュしても映画にはならないだろうと思いました。それで生意気にも大津さんに「このテーマでは映画は成立しませんよ」と言いました。でも、大津さんは粘ったんです。「青年行動隊のリーダーだった島寛征や柳川秀夫と会ってみよう」と。しかし、彼らの答えはそろって「いまさら映画でしゃべることはないよ。もしもあったとしても、それは墓場までもっていくことだから俺はしゃべらないよ」というものでした。それでも、大津さんはあきらめなかった。
「ときどき来るから。農作業だけでも撮らしてよ」。
2012年の夏だったかな。そんな風に、大津さんとぼくの三里塚通いがはじまりました。大津さんは撮影するから、ぼくには話を聞き出す役がまわってきます。昔のことはしゃべらないというひとたちから、どうやったら話を引き出せるのか。空港建設反対闘争の歴史を頭に叩き込み、昔話からはじめるしかありません。大津さんと違って、闘争に関わった経験のないぼくは頼りなく、なかなか聞き役として信用されません。それでも何度も、何十回も通い、少しづつ個人的な昔の体験を教えてもらいました。そこで元青年行動隊だった、いまは好々爺になっている彼らの「記憶の井戸」の底に眠っている闇に出会ったんです。
その闇には、ひとりの若者がいました。青年行動隊リーダーのひとりだった三ノ宮文夫。彼らの仲間でした。1972年10月1日、三ノ宮文夫は村の産土神社で首を吊りました。享年22歳。当時、第二次強制代執行の闘争のなかで3人の機動隊員が反対派のゲリラ部隊に殺されました。その現場には青年行動隊員もいました。三ノ宮はその責任を一身に背負って自殺したのではないかと言われています。彼らはいまでも三ノ宮の話になると泣くんです。『三里塚に生きる』は闘争を生き抜いたひとびとの「記憶の井戸」を掘り、闇に眠っている者と出会う映画になりました。ぼくが’60年代から‘70年代の政治闘争の時代を描きつづけるきっかけになったのが、三ノ宮文夫さんでした。
60年代から70年代の闘争で死んだ若い死者たちに愛着を感じる
あの時代なら、自分も若い死者の仲間になっていたかもしれないから
次の映画を作るきっかけは『三里塚に生きる』の撮影中に遭遇した葬儀です。死者は反対農家へ嫁に入った元支援の女性でした。闘争全盛期にはある新左翼党派の女性リーダーとして活躍していたひと。2006年に元青年行動隊員の夫とともに空港公団に土地を売って、移転していました。闘争をやめたことを気に病みつづけた末の自殺だったそうです。
当時、社会の変革を求める多くの若者たちが、共通の敵である国家権力と闘う農民を助けるために三里塚へやってきました。反対農家へ嫁に入った元支援の女性が20人近くいることを知りました。『三里塚に生きる』では農民の「記憶の井戸」を掘りました。今度は農民を支援した若者の「記憶の井戸」を掘ろう。そう考えて作ったのが『三里塚のイカロス』です。その「記憶の井戸」の底の闇にも多くの若い死者が立っていました。
三作目の『きみが死んだあとで』。これはタイトルでもわかる通り、ひとりの若者が死んだあとでその友だちたちはどう生きたか、という物語です。友だちの「記憶の井戸」を掘り、その闇で生き続ける若者を現在によみがえらせようとしました。1967年10月8日、佐藤首相南ベトナム訪問阻止闘争のなかで機動隊に撲殺された京大生・山﨑博昭。現場は羽田の弁天橋。彼は20歳でした。
山﨑博昭という犠牲者は当時の若者の正義感に火をつけ、その後の学生運動のシンボルになっていきました。映画には「その後の学生運動が、そして新左翼党派の政治闘争がたどった物語をもしも山﨑博昭が知ったら、彼はなんと叫ぶだろうか」という通奏低音が流れています。’60年代から’70年代の闘争で死んだ若い死者たちに、ぼくはなぜかとても愛着を感じるんです。その理由は、もしもあの時代がぼくの青春だったら、ぼくは若い死者の仲間になっていたかもしれないと思うからかもしれません。
書籍『彼は早稲田で死んだ』と著者・樋田毅との出会い     
記録として残さなければ、内ゲバの記憶と歴史が失われてしまう危機感
Q:本作では、1972年に早稲田大学で起こった川口大三郎君事件を端緒として、その後党派同士の闘争に拡大していった「内ゲバ」を題材にしています。具体的に、本作を製作し始めるきっかけは何だったでしょうか?
直接的には樋田毅さんの著書『彼は早稲田で死んだ』を読んだことから、はじまりました。ぼくの映画は前の映画をきっかけとして生まれることが多いのですが、新作『ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜』はまさに前作『きみが死んだあとで』と直接リンクしています。この経緯は鴻上尚史さんがご自分の原稿で書いているので、詳細はそちらを読んでいただくとして、映画作りは樋田毅さんと鴻上尚史さんとぼくが直接出会うことによって動き出しました。
樋田さんは1972年4月に早稲田大学第一文学部へ入学。その年の11月8日に革マル派による川口大三郎君リンチ殺人事件が起きました。事件直後から立ち上がった一般学生による「革マル派追放」「新自治会設立」の運動のリーダーとなりますが、樋田さん自身が革マル派による襲撃で重症を負い、その運動は挫折します。そして、川口君事件をきっかけに一層対立を深めた革マル派と中核派、社青同解放派の内ゲバは激しさを増していき、1973年9月15日には社青同解放派が革マル派活動家2名を殺す事件が起きてしまいます。1974年以降は革マル派と中核派、社青同解放派による血を血で洗う殺し合いがエスカレートし、内ゲバによる死者は100名を超えていきました。
中学時代に連合赤軍リンチ殺人事件、高校時代に内ゲバ殺人事件を見聞きしたぼくは一浪してから1977年4月に政治経済学部へ入学するんですが、「政治的な運動には関わらないほうがよいな」という臆病な若者になっていました。高校生になるまでは、心情的には学生運動をやっているかっこいいお兄さんやお姉さんに憧れていたぼくでさえ、内ゲバには怖気づいたのです。しかし同時に、なぜ仲間同士で殺し合いをやるんだという疑問が湧いてきたのを覚えています。
入学した早稲田には「川口君事件を糾弾する!」と書かれた立て看板がありましたが、事件の詳細を知ろうとはしませんでした。だから、樋田さんたちの運動のこともまったく知りませんでした。1978年4月に法学部へ入学した鴻上さんも同じような「しらけ世代」だったのではないかと推測します。
革マル派による暴力支配、川口君事件の真相、事件後の一般学生による革マル派追放運動、そしてその挫折。鴻上さんとぼくは樋田さんの本によって半世紀前に実際にあった「ゲバルトの杜」の恐ろしさを知ったのです。樋田さんとわずか5歳しか歳の離れていない鴻上さんやぼくがよくわかっていなかったのですから、ぼくら以降の世代には川口君事件のことはまったく語り継がれていません。そして、ぼくら以降の世代の政治離れにいちばん影響を与えた内ゲバの歴史も。直接内ゲバに関わった者だけでなく、全共闘世代全体がトラウマとして封印してきたのですから。樋田さんは夢と失意が詰まった青春の日々を忘れないために、50年後に執念で一冊の本にまとめたそうです。自分が記録として残さなければ、あの日々が忘れられてしまう、消えてしまうという強い危機感があったのでしょう。
内ゲバについてのドキュメンタリー映画は絶対に作れないだろうと思っていた
前作『きみが死んだあとで』から繋がる、学生運動の最終章を描く
『中核派VS革マル派(上)(下)』(1975年/講談社)という立花隆さんのノンフィクションがあります。内ゲバについて、新左翼党派の成立から分裂、殺し合いに至る経緯も含めて、最も詳細に書かれた本だと思います。その上巻で川口君事件を解説し、「川口君事件以前の段階で、すでに殺し合い内ゲバへのレールは敷かれ終わっていたことはこれまでの記述でおわかりだろうが、実際の引き金を引いたのは川口君事件である」と書いています。
残念なことに、この立花隆さんの本には内ゲバ前半の1975年7月までしか記録されていません。この時点では中核派に殺された革マル派22名、革マル派に殺された中核派9名、社青同解放派に殺された革マル派2名。この本の刊行後も内ゲバは終わらず、結局死者は100名を軽く超えてしまいました。この立花さんの本をぼくは文庫本が出た1983年にはじめて読んだのですが、「実際の引き金を引いたのは川口君事件」という記述がずっと気になっていました。でも、やっぱりそのときも川口君事件の真相を調べる努力はしませんでした。
だから、樋田さんの『彼は早稲田で死んだ』で川口君事件前後の当事者の記憶をはじめて知りました。樋田さんの「記憶の井戸」は本を書くためにすでに掘られ、その闇には中核派のスパイと間違えられて殺された川口大三郎が立っていました。いや、川口大三郎だけではなく、川口君事件が引き金を引いた内ゲバで殺された多くの若者たちが。
本を読み終わったぼくはすぐに大阪の樋田さんの仕事場を訪ね、「この本を原案にしたドキュメンタリー映画を作りたい」と申し込みました。その場で樋田さんの快諾をもらい、その翌週にはぼくは鴻上さんの仕事場を訪ね、「ドキュメンタリー映画のなかに川口君が殺された一日を描く短編劇を組み込みたいんですが、作っていただけませんか」と相談していました。
前作『きみが死んだあとで』では山﨑博昭の死という事件によって熱狂していった学生運動が最終章で敗北へ向かっていくという「記憶の井戸」を掘り、元中核派活動家による内ゲバ殺人についての語りによって、その底の闇に立つ二人の死者を描きました。1971年12月4日、関西大学で革マル派が殺した中核派の京大生の辻敏明と同志社の正田三郎です。
しかし、その映画作りのなかで当事者や関係者の内ゲバ殺人に関する「記憶の井戸」はセメントで完全に蓋をされていることを実感したので、内ゲバについてのドキュメンタリー映画は絶対に作れないだろうと思いました。だから、直接の内ゲバの当事者ではありませんが、内ゲバ殺人の引き金を引いた川口君事件の「記憶の井戸」を掘った樋田さんの執念の本に出会ったときには自然に頭と身体が動いたんだと思います。これで、できるかもしれないと。
元新左翼党派の活動家「思想の力は殺人行為も正当化する」
本当にあったことを実体化するために鴻上尚史とタッグを組む
Q:本作は大きく、ドキュメンタリーパートとフィクションパートと異なるアプローチをミックスしていますが、そのアイデアはどのように生まれたのでしょうか? 特にフィクションパートは劇作家の鴻上尚史さんの演出担当、現代の若者たちが出演する等、多くの試みがあったかと思いますが、現場での狙いや苦労等あれば教えて下さい。
「なぜ内ゲバ殺人が起きたと思いますか」と元新左翼党派の活動家に尋ねたら「たぶん思想の力だね」と言われたことがあります。「“稲妻が雷に先立つように思想は行為に先立つ”。これはハイネ。思想の力は殺人行為も正当化するんだよ」と。鴻上さんとも話しましたが、「自分は革命のために正しい暴力をふるっている」という思想の力が大きかったのではないでしょうか。鴻上さんはそれを組織の洗脳による「集団我」と名付けていました。
でも「思想の力」とか「集団我」とか言われても、あの時代の熱狂を知らない世代にはピンときませんよね。内ゲバ殺人がほんとうにあった、100人以上の若者が殺されたということをこの映画ではじめて知るわけですから。川口君事件の犯人が逮捕され、その一部の自供によって文学部の教室で川口君がどのように殺されたのか、ほぼ明らかになっています。だから、映画の冒頭で「川口君が殺された一日」の短編劇を観せて、そのあとで「なぜ事件が起きたのか」「事件に一般学生はどんな反応をしたのか」「川口君事件がなぜ内ゲバ殺人の引き金になったのか」を考えていく。まず川口君事件がほんとうにあった事件なんだと信じてもらうために、そして目撃者になってもらうために鴻上さんに短編劇を作ってもらいました。
劇映画にするのか、舞台劇にするのか、鴻上さんと悩みました。最終的にはリアルな劇映画にしたいという鴻上さんの提案に乗りました。16分の短編劇ですが、撮影が大変でしたね。当時の自治会室や大学キャンパスを再現する美術に苦労したり、暴力アクションに慣れていない役者を訓練したり。でも、いちばん大変だったのはコロナ禍と酷暑でした。2022年8月に撮影したんですが、事件が起きた晩秋の衣装で芝居をしてもらわなければならない。しかもロケをした廃校になった小学校の教室にはエアコンがなくて、役者もスタッフも地獄でしたね。鴻上さんの演出と役者のリアクションを記録するために自分でメイキング映像を撮影したんですが、それはほとんど地獄絵でした(笑)。
当時、若者だった当事者たちの「記憶の井戸」を掘っていく     
闇に立つ川口大三郎の姿が見えてくるまで丁寧に
Q:アクション的なフィクションパートとは対比になるような、ドキュメンタリーパートはあの時代の当事者の方々が淡々と語る言葉が迫ってきます。また直接的な当事者だけでない池上彰さんや佐藤優さんといった識者も登場しますが、人選や狙い、アプローチ方法はどういったものだったでしょうか。
樋田さんの本に登場する当事者を取材しました。一回目はカメラなし、ぼくが単独でできるだけ長時間、ぼくのイメージするところの「記憶の井戸」を掘りました。闇に立つ川口大三郎の姿が見えるまで。二回目に撮影をしました。樋田さんの本に登場しない、どちらかというと当時の樋田さんたちの運動に批判的な当事者にも取材し、必要ならば撮影しました。川口君事件を複眼的に見たかったからです。革マル派の当事者にもアプローチしましたが、拒否されたり、連絡先にたどりつけなかったりで、結局一人も登場させることができませんでした。
池上彰さん、佐藤優さんには日本の左翼史研究者として出演していただきました。内田樹さんは革マル派の友人を内ゲバで殺された当事者として、石田英敬さんは目の前で友人二人を中核派に殺された当事者として、それぞれの「記憶の井戸」を掘らせてもらいました。内田さんの闇には東大生の金築寛(ルビ/かねつきひろし)さんが、石田さんの闇には東大生の四宮俊治さんと富山隆さんが立っていました。
Q:音楽は4作品連続で大友良英さんが担当しています。暴力的ともいえるパーカッションの音や、後半になるにつれて抒情的なトーンへの変化が印象的ですが、大友さんの音楽への期待はどういったものでしょうか。
ぼくの学生運動四部作とも言えるシリーズの音楽はすべて大友良英さんのもの。だから新作『ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜』の音楽もほとんどおまかせです。ぼくはここの場面に音楽を付けたいと指定するだけと言ってもいい。冒頭は内ゲバの背景を説明する字幕、川口君を紹介する字幕がつづいていく。映像的には単調なので、あの時代の空気感を響かせなければなりませんでした。大友さんが自身でひっかくギターのノイズと打撃音を組み合わせた冒頭のサンプル音楽を送ってくれたとき、これでいけると。大友さんの映像読解力はすごいですよ。時計のように規則正しい音を刻むメトロノームがだんだん不規則な音に変化するとか、映像を読み解いて、些細な音楽も丁寧に作っていく。あの時代の悲しみや悔しさを奏でる、大友さんの内ゲバの死者に手向けるレクイエムで映画は終わります。
内ゲバによる死はあまりにも「ほんとうに無意味な死」     
ひとりひとりが名前をもった「意味ある死者」として甦らせなければならない
Q:1972年の川口大三郎君事件から、約半世紀が過ぎました。改めて2024年に本作が公開されることにどのような意味を持つか、またどのように観客に観てもらいたいでしょうか?
映画のなかに『ほんとうに「無意味な死」』という題名の本が出てきますが、改めてすべての人に内ゲバによる死はほんとうに「無意味な死」だったということをわかってほしい。その上で、時代の闇に葬られた100人を超える内ゲバの死者を、夢があり、涙があり、理想があり、怒りがあった、自我をもった、ひとりひとりが名前をもった「意味ある死者」として甦らせなければならないと考えて、この映画を作りました。
内ゲバの死者。そこには川口君みたいに内ゲバに巻き込まれて間違って殺された死者、瀕死の重傷を負った末に病院で亡くなった死者、内ゲバ殺人の加害者になったことを悔いて自殺した死者もいるでしょう。彼らを「意味ある死者」として甦らせるためには、ひとりひとりをちゃんと記憶し、弔わなければならない。
海老原俊夫、水山敏美、辻俊明、正田三郎、武藤一郎、川口大三郎、金築寛、清水徹志、四宮俊治、富山隆……。彼らはなぜ殺されなければならなかったのか。
彼らを「意味ある死者」として甦らせるためには、加害の関係者、被害の関係者も含めた当事者一人一人がひとつひとつの内ゲバ殺人の真相をできる限り明らかにし、歴史に刻印していくこと、それしかないのではないでしょうか。当事者にもぼくにも、残された時間はもう少なくなっているのですが。
代島治彦だいしま はるひこ
1958 年、埼玉県生まれ。『三里塚のイカロス』(2017 年/監督)で第72 回毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞受賞。他の映画作品に『パイナップル・ツアーズ』(1992 年/製作)、『まなざしの旅』(2010 年/監督)、『オロ』(2012 年/製作)、『三里塚に生きる』(2014 年/監督/2014 年度台湾国際ドキュメンタリー映画祭オープニング作品)、『きみが死んだあとで』(2021 年/監督)がある。著書に『ミニシアター巡礼』(大月書店)、『きみが死んだあとで』(晶文社)など。
スタッフ
クレジット
撮影:加藤孝信かとう たかのぶ
1989年より小川プロダクションに参加。1992年の小川プロの解散に伴い、以降フリー・キャメラマン。『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』(2006年/藤原敏史監督)、『無人地帯』(2012年/藤原敏史監督)、『石川文洋を旅する』(2014年/大宮浩一監督)、『沖縄 うりずんの雨』(2015年/ジャン・ユンカーマン監督)、『筑波海軍航空隊』(2015年/若月治監督)、『もうろうをいきる』(2017年/西原孝至監督)、『三里塚のイカロス』(2017年/代島治彦監督)、『きみが死んだあとで』(2021年/代島治彦監督)、『スープとイデオロギー』(2021年/ヤン ヨンヒ監督)、『うつろいの時をまとう』(2023年/三宅流監督)などのドキュメンタリー作品に参加。
音楽:大友良英おおとも よしひで
ギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家
1959生。映画やテレビの音楽を山のように作りつつ、ノイズや即興の現場がホームの音楽家。ギタリスト、ターンテーブル奏者。活動は日本のみならず欧米、アジアと多方面にわたる。美術と音楽の中間領域のような展示作品や一般参加のプロジェクトやプロデュースワークも多数。震災後は故郷の福島でも活動。その活動で2012年には芸術選奨文部科学大臣賞芸術振興部門を受賞。2013年「あまちゃん」の音楽でレコード大賞作曲賞を受賞。2017年札幌国際芸術祭の芸術監督を務める。90年代よりアジア各地のミュージシャンのネットワークに現在も奔走。また福島を代表する夏祭り「わらじまつり」改革のディレクターも務めた。
池上 彰いけがみ あきら
ジャーナリスト。1950年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHKに入局。報道局記者を歴任し、94年から11年間『NHK週刊こどもニュース』初代お父さん役として活躍。2005年よりフリーとなり、執筆活動を続けながら、テレビ番組などでニュースをわかりやすく解説し、幅広い人気を得ている。また、六つの大学で教鞭をとる。最近では佐藤優との共著「日本左翼史」シリーズ三巻(講談社現代新書)が話題を巻き起こした。
佐藤 優さとう まさる
作家。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科終了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務などを経て、本省国際情報局分析一課に配属。主席分析官として対ロシア外交の分野で活躍した。2005年に著した『国家の罠ー外務省のラスプーチンと呼ばれて』で鮮烈なデビューを飾り、翌06年の『自壊する帝国』(ともに新潮文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。2020年、菊池寛賞を受賞。池上彰氏との共著「漂流日本左翼史」(講談社現代新書)では川口大三郎事件に言及している。
内田 樹うちだ たつる
思想家、武道家。1950年東京都生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。凱風館館長、多田塾甲南合気会師範。著書に『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書、第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の米中論』(東洋経済新報社)などがある。第3回伊丹十三賞受賞。
劇パート
脚本・演出:鴻上尚史こうかみ しょうじ
作家・演出家・映画監督。1958年愛媛県生まれ。早稲田大学法学部卒業。大学在学中の1981年、劇団「第三舞台」を旗揚げする。87年「朝日のような夕日をつれて'87」で紀伊國屋演劇賞団体賞、95年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞、2007年に旗揚げした「虚構の劇団」の旗揚げ三部作戯曲集『グローブ・ジャングル』で10年、読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。著書に『「空気」と「世間」』『不死身の特攻兵』(以上、講談社現代新書)、『愛媛県新居浜市上原町一丁目三番地『(講談社)など多数。
川口大三郎 役:望月歩もちづき あゆむ
2014 年、宮部みゆき原作の映画『ソロモンの偽証』にて中学生・柏木卓也役に抜擢され、俳優デビューを果たす。翌2015 年の公開時にはその演技が一躍注目を浴び、本格的に活動を始める。『ソロモンの偽証』(2015)『秘密THE TOP SECRET』(2016)、『五億円のじんせい』(2019)、『向こうの家』(2019)。他、映画、TVドラマへの出演多数。
女性闘士 役:琴和ことわ
2002年、神奈川県生まれ。2023年からCMやMVなどを中心に女優として活動中。この作品が初めての映画。特技は韓国語で、独学でTOPIK6級を取得。
『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』
(2024/日本/134分/日本語/カラー/DCP)

企画・監督・編集
代島治彦
原案
樋田 毅『彼は早稲田で死んだ』文藝春秋刊
企画協力
文藝春秋
プロデューサー
沢辺 均
撮影
加藤孝信
整音
東 凌太郎
音楽
大友良英
演奏
大友良英 永武幹子 野木青依 高岡大祐 イトケン
音楽録音
中村茂樹
音楽制作
佐々木次彦
撮影
加藤孝信
整音
香川修平 半田貴大 峰岸航生
音響効果
浦川みさき
スタジオ技術
加藤詩織
タイトルデザイン
成瀬 慧
字幕デザイン
遠山慎二
カラリスト
佐藤 健
撮影応援
三宅 流
使用映像
「WASEDA1972」早稲田大学テレビ芸術研究会/「ナウ早稲田」東京12チャンネル
使用写真
勝山泰佑
資料提供
亀田 博 樋田 毅 永嶋秀一郎 小林哲夫 テレビ東京 朝日新聞社 毎日新聞社 読売新聞社 日本経済新聞社 日本カメラ博物館
ドラマパート「彼は早稲田で死んだ」
脚本・監督
鴻上尚史
川口大三郎
望月 歩
川口大三郎の友人
香川修平 髙橋陸生 桝屋大河
革マル派
相原滉平 石川真也 琴和 黒川大聖 黒澤風太 小林示謡 佐々木 隼 高橋雅哉 谷 風作 原田 開 半田貴大 久門大起 峰岸航生 山﨑一汰
早大教員
渡辺芳博 佐藤拓之
撮影
加藤孝信
録音
吉田憲義
美術
太田喜久男
照明
原 由巳
衣裳
青木 茂
ヘアメイク
藤原玲子
装飾
高橋 光
編集
渡辺直樹
助監督
金田 健 森田 遼
アクションコーディネート
清家利一
操演
黒田政紀
撮影助手
吉田信治 国吉真舟
照明助手
田部 誠
録音助手
大森円華
美術助手
石原多美子
装飾助手
武富洸斗 田中 茜 鈴木智恵
装飾応援
竹内正典
操演応援
髙橋ひと美
ヘアメイク応援
マクビリー舞 伊藤カオリ
制作応援
飯島洋一 土田守洋
スチール撮影
新宮夕海
メイキング撮影
代島治彦
ラインプロデューサー
森満康巳
制作デスク
倉田知加子
衣裳メイク協力
東京衣裳 ピクトメイク
制作デスク
たちかわ創造舎 Cinema Sound Works 照太郎 利重剛
制作協力
サードステージ ジェイ・フィルム
 
「ゲバルトの杜」製作支援者
石川祐子 石川良一 大橋正明 大塩 剛 小川 一 奥住好雄 小田明子 小原隆治 菊地原 博 クラバヤシシンスケ 渋谷和子 嶋村裕子 清水有生 杉本眞一 鈴木英司 辻 和夫 寺川光男 寺川裕子 中村利也 野上 篤 野崎泰志 信田さよ子 本多伸行 山際敏和 和多田粂雄 mina 1972年文学部日本文学専攻有志

樋田紫子 那須和博 中村のり子 吉清雅英 山本ふみこ 瀬戸宏 大澤未来 杉山勲 西岡透 山田人士 桝谷秀一 木村文洋 西幸代 金井塚康弘 朝倉優子 谷口末雄 梶野孝一 樋口大二 馬場貴志 石崎嵩人 吉田義朗 三宅章介 村山睦 まつかわゆま 百崎満晴 熊谷博子 宮嵜善文 武田雅子 小泉雅英 上窪田雅文 波多野ゆかり 亀田旬子 岸野令子 中島富美子 長岡俊平 高橋ひろゆき 内本年昭 久米浩之 松岡博子 山田和也 重永文恵 野崎泰志 森茂樹 三友周太 木本明 佐々木淳 多田野Dave 小辻昌平 佐賀旭 斉藤典貴 山田せつ子 田島安江 田中文夫 藤野豊 熊野雅恵 松岡尚孝 栗村洋一 田中孝征 藤田寿啓 大塚進 松下知 赤石京子 小林史恵 杉本眞一 大塚泰介 小林真 杉岡幸一 安蔵邦彦 南椌椌 久下格 手代木哲 山本草介 西索兄 野村知一 小山帥人 中野理恵 那波泰輔 石澤利巳 田中美登里 竹田洋二 ウラベノリコ 奥川こもみ 笹倉雅子 代島裕世 福冨惠子 加藤桃子 太田和重 岩見慎 猪瀬佳子 服部宏昭 鎌垣英人 田中健大 石田英敬 門田信幸 芳尾孝子 平島玲子 佐藤美奈子 秋定啓子 石崎嵩人 藤村勇人 宮下智行 横山博彦 前田肇 金井章二 吉田さやか 直井恵 工藤秀之 小田史一 沼田ゆうこ 戸田直子 植村八潮 伊達政保 鈴木美咲 金光美秀 沢辺均 久留島郷平渥美明 吉良山千恵 丸田和彦 風間ゆうすけ 尾崎充 川内治 東口昌央 渡邊知樹 松戸志朗 熊元啓人 永吉直之 本間晟豪 佐方晴登 中川一郎 池野里奈 山浦一彦 神田和美 長岡真理子 大矢純一 宮川典子 林明雄 三塚京子 中川博子 野島美香 二ノ倉雅夫 近藤伸郎 松山裕 椛本哲司 竹内忍 森仁司 松丸健二 樫村由子 長岡もとひろ 西浩孝 湯澤三喜子 眞珠浩行 小林哲 大貫弘和 田邊雅勇 伊藤隆明 橋本恭子 小池博文 島田恵司 井上英紀 小島宣明 山口晃二 伊与高之 永田浩三 福島真理 渡辺春充 窪田徹 樋口欽也 柴田裕介 中峰直紀 長久雅行 戸祭玲子 岸江孝男 菊村道男 伊藤隆明 寺川裕子 寺川光男 山部かずや 小川美穂子 藤重睦美 森口秀志 松本裕介 高木龍二 渡辺百合子 半田正樹 中馬左麟乃 由紀草一 阪野雅之 立花裕之 山川隆之 稲垣豊 平田誠豪 木村瞳 加藤哲哉 松井隆志 瀬戸宏 近藤美由紀 西山裕二 岡部裕子 山本梓 辻和夫 黒瀬準 向千衣子 恵守透 嶋田充夫 小野信也 永井貞二 本田信明 橋本邦彦 渡部泰男 細田伸昭 安藤聡 上野慎一 赤松英一 岡崎一郎 米田隆介 林直 中原憲明 周宝寛和 宮崎亮一 大城清志 小林すみ江 佐田考史 原田陽一 古満温 松本真英 揚田崇徳 太田哲太郎 篠原章 八幡温子 砂川直樹 季村敏夫 永井康雄 平田豪成 国松春紀 寺井融 永見政夫 津村和比古 加藤建二 石澤直樹 ことばの映画館編集長 手塚義治 小林清文 福島貞男 伊崎由維子 加賀崎勝弘 平田幸美 斉木登茂子 多井久晃 恵乃理子 横山哲也 櫟木妙子 大塚考史 和田千華子 岡田秀則 韮沢明 森下隆 高田保彦 黒川愛 初見基 小林茂 大西暢夫 鈴木駿平 久留島郷平 田中健大 黒木文雄 井谷泰彦 大角香里 杉本眞一 荒井謙一 山之内悦子 馬渕茂樹 小山直樹 中川憲一 宗政尚一郎 大貫弘和 工藤紘子 中川れい子 藤野豊 近藤未佳 河野昌隆 宮川典子 三橋俊明 菊地原博 野村重弘 今里泰子 ウラベノリコ 荒木義彦 橋本佳子 松林要樹 まつかわゆま 野田邦弘
制作
スコブル工房
配給
ノンデライコ
宣伝
テレザ
製作事務局
本多伸行 野上 篤 冨樫一紀 小林哲夫 岩田和明
製作
「ゲバルトの杜」製作委員会(ポット出版+スコブル工房)
©「ゲバルトの杜」製作委員会
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